明剱神社への散歩道

明剱神社(明剣神社)への散歩道、「太陽の道」線上にある明剱神社は吉備の国の古代史では有名です。明剱神社の北側には高さ約5mの大岩があり太陽信仰と北辰信仰が一体になった磐座で魔崖仏が彫ってあります。

正式には明剱神社ですが、明剣神社と書く人もあります。神社の建物には明剱神社と書いてあります。北緯34度39分の東西線上に古代遺跡や古墳が点在するという「太陽の道」線上にある岡山県小田郡矢掛町の「明剱神社」は吉備の国の古代史では有名な所です。

明剱神社の由来と歴史

明劔神社を起点に南北の線を引くと、北には岡山県高梁市の高倉山(383m)、南は岡山県浅口郡鴨方、金光両町と小田郡矢掛町境にある「遙照山(405m)」があります。この間に、吉備津彦命を祭る矢掛町の「羽無宮」などの神社、仏閣があります。

伝説では、温羅退治で吉備津彦命が放った矢が鬼ノ城の麓にある蛇高の岩に当たり、その岩が砕け散り約20km離れた矢掛町の明剱神社まで飛んで来たといわれています。

平宇角側(南側)からの登り口

明剱神社への道の入り口

我が家の裏山の明剱神社(ミョウケンジンジャ)への道の入り口です。

右も左も昔は畑だったのですが、今は山になってしまっています。農業従事者の高齢と人手不足で里山が荒れていくのは寂しいものです。

手前の枯れた大きな木はアサダレと言ってアキグミの木です。子供の頃よく実を採って食べましたが、残念なことに枯れてしまいました。枯れる前にこの実を我が家の山に撒いて子孫を増やすことができました。

ここは海抜約160mです。

急な登り坂です

明剱神社への道の途中

かなり急な坂道です。ほぼ真っ直ぐに上がって行きます。昼間でも暗い程両側から木が茂っています。

近年、松食い虫の被害で多くの松が枯れてしまいました。今では松の木はほとんど残っていません。

明劔神社頂上の様子

明劔神社の鳥居

急いで登ると約15分で頂上に着きます。ああ疲れた。こんな高い山にどうやって鳥居の石を運んだのでしょうか。今は四輪駆動車で頂上まで上がれますが、昔は徒歩のみでした。

昔はこの奥の広場の先にある建物の中で、秋祭りの時、備中神楽が夜中から朝までありました。広場では大きな焚き火をしていました。私の子供の頃の思い出です。

明劔神社頂上の広場

明劔神社の広場

私が子供の頃は秋祭りの時ここの広場で大規模な焚き火をして、備中神楽を夜から翌朝明るくなるまで舞っていました。今はもうありません。

大きな岩の北側にうるし科のハゼがあり、この紅葉が大変きれいでした。

お清めの手洗い場

お清めの手洗い場

境内の南には、ほとんど人が来ることがないのに、立派な石で作ったお清めの手洗い場があります。この傍にも大きな岩がありました。

磨崖仏(矢掛町指定重要文化財)

矢掛町指定重要文化財の磨崖仏

北側の岩壁には矢掛町指定重要文化財になっている、磨崖仏(まがいぶつ)が彫り込まれています。左側の像は背後に火炎、右手に宝剣、左手にけん索を持った不動明王の立像です。右側の像は表情が優しく見えます。

2体とも肉薄彫で長い年月の間に風化し、不明瞭な箇所もあります。これを磐座(いわくら)と言い、かつては『明剱神社』の御神体だったらしい。いつ頃誰が彫ったのでしょうか。

頂上の巨岩群

明劔神社の大岩

山の上には大きな岩が沢山あります。この奥の岩には金毘羅宮と彫ってありました。

我が家の周辺にも大きな岩がたくさんあります。その岩は大昔にここから落ちたのではないかと言う人もあります。おおこわ。

明劔神社の祠

明剣神社の祠

ここが明剣神社の祠です。毎年秋にはここで氏子全員が参拝して秋祭りの行事があります。この左手の岩は屋根より高く他にも大きな岩があります。

この近くにはスズメバチの巣がよくあり、夏から秋には不用意に近づくと危険です。

明劔神社奥の三角点

測量用の三角点

神社の東の端の大きな岩の上には国土地理院が作成した測量用の三角点がありました。

ここは海抜約260mで、我が家より約110m高い所です。

明劔神社から見た五反田方面

三角点の岩の上から東を見た景色

三角点の岩の上から東を見た景色です。牧場の手前の五反田という田圃と、総社市新本方面の山が見えます。

五反田の大正池という池を北へ少し入ったあたりに、昔ウラン鉱石か、銅を掘ったという大きな洞窟がありました。

新美川鉱山と言い、カレドニア石を産出することで有名で、今も洞窟はあります。