明剱神社への散歩道
明剱神社(明剣神社)への散歩道、「太陽の道」線上にある明剱神社は吉備の国の古代史では有名です。明剱神社の北側には高さ約5mの大岩があり太陽信仰と北辰信仰が一体になった磐座で魔崖仏が彫ってあります。
正式には明剱神社ですが、明剣神社と書く人もあります。神社の建物には明剱神社と書いてあります。北緯34度39分の東西線上に古代遺跡や古墳が点在するという「太陽の道」線上にある岡山県小田郡矢掛町の「明剱神社」は吉備の国の古代史では有名な所です。
明剱神社(北緯34度39分32秒)の由来と歴史
- 1196年(建久7年)頃からこの地では妙見宮を祀っていました。御祭神は宗像三柱神です。
- 1509年(永正5年)に長代筑前守が下高末1514の山上に移転し明剱神社を建立しました。
- 境内の北側の大きな一枚岩の磐座(高さ約5m)には、江戸初期の作と推定される高さ約70cmの不動明王と役行者(えんのぎょうじゃ)の2体の磨崖仏が浮彫りされており当時の修験者の山上信仰祭祀跡を忍ばせています。(矢掛町指定重要文化財)
- 氏子は字上高階と下高階と平宇角と三ケ原の約53戸ですが、年々氏子が減っています。
- 秋祭り楽天 は毎年11月第1土、日曜日ですが、日曜日に氏子のほぼ全戸が参拝して行なわれています。
この古い年代の情報は、私が独自に調べたものではなく、インターネツト上に以前からあった情報です。それらの情報が無くなるとの知らせがあり、永久に無くなっては困ると思い書き写したのです。これらの情報が正確なものかどうかはわかりません。
明剱神社を起点に南北の線を引くと、北には岡山県高梁市の高倉山(383m)、南は岡山県浅口郡鴨方、金光両町と小田郡矢掛町境にある「遙照山(405m)」があります。この間に、吉備津彦命を祭る矢掛町の「羽無宮」などの神社、仏閣があります。
伝説では、温羅退治で吉備津彦命が放った矢が鬼ノ城の麓にある蛇高の岩に当たり、その岩が砕け散り約20km離れた矢掛町の明剱神社まで飛んで来たといわれています。
平宇角側(南側)からの登り口
我が家の裏山の明剱神社(ミョウケンジンジャ)への道の入り口です。
右も左も昔は畑だったのですが、今は山になってしまっています。農業従事者の高齢と人手不足で里山が荒れていくのは寂しいものです。
手前の枯れた大きな木はアサダレと言ってアキグミの木です。子供の頃よく実を採って食べましたが、残念なことに枯れてしまいました。枯れる前にこの実を我が家の山に撒いて子孫を増やすことができました。
ここは海抜約160mです。
急な登り坂です
かなり急な坂道です。ほぼ真っ直ぐに上がって行きます。昼間でも暗い程両側から木が茂っています。
近年、松食い虫の被害で多くの松が枯れてしまいました。今では松の木はほとんど残っていません。
明剱神社頂上の様子
急いで登ると約15分で頂上に着きます。ああ疲れた。こんな高い山にどうやって鳥居の石を運んだのでしょうか。今は四輪駆動車で頂上まで上がれますが、昔は徒歩のみでした。
昔はこの奥の広場の先にある建物の中で、秋祭りの時、備中神楽が夜中から朝までありました。広場では大きな焚き火をしていました。私の子供の頃の思い出です。
明剱神社頂上の広場
私が子供の頃は秋祭りの時ここの広場で大規模な焚き火をして、備中神楽を夜から翌朝明るくなるまで舞っていました。今はもうありません。
大きな岩の北側にうるし科のハゼがあり、この紅葉が大変きれいでした。
お清めの手洗い場
境内の南には、ほとんど人が来ることがないのに、立派な石で作ったお清めの手洗い場があります。この傍にも大きな岩がありました。
磨崖仏(矢掛町指定重要文化財)
北側の岩壁には矢掛町指定重要文化財になっている、磨崖仏(まがいぶつ)が彫り込まれています。
左側の像は背後に火炎、右手に宝剣、左手にけん索を持った不動明王の立像です。右側の像は役行者(えんのぎょうじゃ)で表情が優しく見えます。
2体とも肉薄彫で長い年月の間に風化し、不明瞭な箇所もあります。これを磐座(いわくら)と言い、かつては『明剱神社』の御神体だったらしい。いつ頃誰が彫ったのでしょうか。
頂上の巨岩群
山の上には大きな岩が沢山あります。この奥の岩には金毘羅宮と彫ってありました。
我が家の周辺にも大きな岩がたくさんあります。その岩は大昔にここから落ちたのではないかと言う人もあります。おおこわ。
明剱神社の祠
ここが明剣神社の祠です。毎年秋にはここで氏子全員が参拝して秋祭りの行事があります。この左手の岩は屋根より高く他にも大きな岩があります。
この近くにはスズメバチの巣がよくあり、夏から秋には不用意に近づくと危険です。
明剱神社奥の三角点
神社の東の端の大きな岩の上には国土地理院が作成した測量用の三角点がありました。
ここは海抜約260mで、我が家より約110m高い所です。
明剱神社から見た五反田方面
三角点の岩の上から東を見た景色です。牧場の手前の五反田という田圃と、総社市新本方面の山が見えます。
五反田の大正池という池を北へ少し入ったあたりに、昔ウラン鉱石か、銅を掘ったという大きな洞窟がありました。
新美川鉱山と言い、カレドニア石を産出することで有名で、今も洞窟はあります。
太陽の道に関係した史跡等(北緯34度39分)
矢掛町の明剱神社(北緯34度39分32秒)以外にも太陽の道に関係していると思われる史跡は次に列挙したもの以外にも多くあります。
西大寺観音院(北緯34度39分13秒)
裸祭りで有名な西大寺観音院の所在地は岡山県岡山市東区西大寺中三丁目8番8号です。山号は金陵山で、宗派は高野山真言宗となっています。本尊は千手観音で、創建は751年(天平勝宝3年)です。
沢田山恩徳寺(北緯34度39分55秒)
岡山市中区沢田613にある高野山真言宗のお寺です。本尊は薬師如来で、寺の背後の操山には操山古墳群が点在していて、山上には磐座がある古代祭祀の聖地でです。古代の太陽信仰の影響か、本堂が東向きに建てられています。
吉備の中山茶臼山古墳(北緯34度39分58秒)
岡山県岡山市北区吉備津の吉備の中山にある前方後円墳です。宮内庁管理になっていて、第7代孝霊天皇皇子の大吉備津彦命の墓とされています。
吉備津神社(北緯34度40分)
岡山県岡山市北区吉備津931にある大吉備津彦命を祀った神社です。備中国の一宮とも言われています。
岩倉神社(北緯34度39分22秒)
岡山県倉敷市日畑203の田んぼの中にあります。周囲には大きな岩などないのに、ここだけに不思議なことに巨石が多く点在しています。
王墓山古墳(北緯34度39分35秒)
岡山県倉敷市日畑にある古墳で、王墓山古墳群の古墳の1つです。岡山県指定史跡に指定されています。岩倉神社の北西500m位の所にあります。
楯築遺跡(北緯34度39分47秒)
別名片岡山古墳とも言います。岡山県倉敷市矢部にある古墳です。古墳の形状は双方中円形墳丘墓で、墳丘の直径は50mあります。築造時期は2世紀後半から3世紀前半と言われています。古墳の頂上には5個の巨石が立てられていて、斜面にも2列に約20個の列石があるようです。王墓山古墳の北300m位の所にあります。
鯉喰神社(北緯34度39分52秒)
倉敷市矢部109にある温羅伝説にゆかりのある所です。傷を負って鯉に姿を変えて逃げる温羅を、鵜になった吉備津彦命が捕らえたという伝説の残っている神社です。楯築遺跡の北西500m位の所にあります。
備中国分寺(北緯34度39分59秒)
備中国分寺は、岡山県総社市上林1046にあります。この寺は、741年(天平13年)聖武天皇が天災や飢饉から国や人民を守ろうとして建てたものです。
作山古墳(北緯34度39分54秒)
備中国分寺の少し西の岡山県総社市三須にある前方後円墳です。備中国分寺の少し東にも造山古墳という前方後円墳があります。これは全国で第4位の規模の巨大古墳です。造山古墳は北緯34度40分にあります。